我が心、本日も晴天なり

保守の補習時間

土俵の女人規制と官僚のセクハラについて

「女人禁制」は女性蔑視か。

市長が土俵の上であいさつ中、くも膜下出血で倒れた。救命措置を行うため土俵に上がった女性に対して、「土俵から降りて下さい」とアナウンスしたことに対して批判の声が上がった。

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女人禁制に対しては、「時代遅れ」「女性差別」「非合理的」「相撲協会は女人禁制を廃止せよ」という声が多かった。

強硬なフェミニストからだと思われるが、「女性を穢れと見るのはけしからん」という声が目についたが、もちろん相撲協会は女性は穢れているから土俵に上がれませんと言っているわけではない。それでもフェミニストは、「心の中では女性を穢れと思っている」と言うのだろうが、実際のところ今の時代に女性を穢れていると信じている人間を見たことも聞いたこともない。相撲関係者としても女人禁制は、「前からそういう決まりだった」くらいの感覚で対応しただけだと思われる。

男女間トラブルの回避策としての「女人禁制」

我々と同じ能力を持つホモ・サピエンスがこの世に登場してからすでに20万年も経っているので、男女間のトラブルやその回避方法についても相当な蓄積があるはずだ。例えば穢れ思想に関しては、女性が生理で出血することから生まれた思想という説があり、それなりの根拠はあると思うが、実際には女性に生理があり妊娠すると生理が止まり、出産するとまた始まるということは自明であるので、いくら古代人とはいえこの程度のことを穢れなどと特別視していたというのは不自然ではないだろうか。穢れ思想の本質は、「生理中の女性をあちこち連れまわすな」くらいの生活の知恵が転じて、わかりやすいルールになったものと考える。

また、防犯の観点から、「女性はあそこへ行ってはいけない」という意味での女人禁制が考えられる。例えば現代でも山賊や海賊がいるが、要するに住居を離れ身辺警護が手薄になるところを見計らって行う犯罪というものがあるため、登山(山越え)などでその種の犯罪に一層注意するというのは現代でも変わらない。現代のように山小屋が整備されていなかった時代は、山で男女が雑居して宿泊することでよりトラブルが発生しやすかったということも考えられる。

このような防犯上の推奨事項が、「女人禁制」という単純なルールに転じていったことが推測できる。地震後の津波から身を守るために言い伝えられていた「津波てんでんこ」のように、説明を切り落として単純なルールにしておけば、子供など理解力の低い人間でも実践できるからである。

セクハラ防止のための「女人禁制」

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「土俵の女人禁制」とほぼ時期を同じくして、「事務次官のセクハラ疑惑」が話題になった。この疑惑の本質については別に触れたいと思うが、注目したのはセクハラ防止策として、「女性記者と公務員の接触を制限せよ」という声が多く見られたことである。現代において、「男女の接触を制限する」というこの解決策は、先人たちが男女間トラブル回避法として活用してきた女人禁制と全く同じ考え方であることにお気づきだろうか。

多くの人が、「女人禁制は時代遅れだ」と主張すると同時に、「女性記者を制限しろ」と、現代における女人禁制復活を主張しているのである。

 

ホモ・サピエンスは20万年の間、問題解決に努めてきた

 

 なぜこのような矛盾が起こるのか。それは、我々がせいぜい何十年かの実体験しか持たないため、我々にとってはあらゆる事象が新しい問題に見えてしまうということである。ところが実際は、我々と全く同じ能力を持つホモ・サピエンスが、すでに20万年もの間、あらゆる問題解決の努力をし続けてきた。この事実を考慮して、我々が今取り組んでいる問題も、実はすでに何度も繰り返された問題ではないかという謙虚な視点から見ることが大切だし、間違いを犯す危険性も大幅に減少させることができるはずだ。