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道徳の教科化とセクハラについて

道徳の教科化に疑義を唱え続ける左翼

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朝日新聞毎日新聞日教組弁護士会はこぞって道徳の教科化に疑義を唱えている。その理由は以下の通り。

朝日新聞

そもそも道徳の教科化は、いじめ問題が理由とされた。多くの者が同調するからいじめは起きる。なびかぬ強さを培う授業が大切なのに、成績がつくとなればそれを気にして、先生が望む「答え」を推し量る気分が児童生徒に広がりかねない。

毎日新聞

教育学のある専門家は「普遍的な価値観でも子供に押し付けてはいけない。自然に気付き、身に着けてもらうのが理想。意図的な道徳心の形成はうまくいかないし、損なわれるものが多い」と指摘する。

日教組

現場の教員からは「道徳的な価値は子供たちの自主的な判断に基づくものであり、その判断を制限するものは一切排除されるべきだ」という声も上がった。

東京弁護士会

子どもに対し、国家が公定する特定の価値の受け入れを強制することとなる点で、憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権を侵害するおそれがあり、見直されるべきである。

ユニークなのは、日頃、「あるべき家族の姿を押し付けるな」と主張している左翼リベラルの中に、「道徳は(学校ではなく)家庭で教えるもの」といきなり方向転換した意見が見られることである。つまり、道徳の教科化に反対しようと思うあまり、日頃の主張と正反対に、「道徳は家庭で教えるべき(あるべき姿)」をうっかり主張してしまっているのだ。

なぜこんなことが起こるのか。それは左翼リベラルの源流が、「無道徳」であるからである。

道徳とは、ホモ・サピエンス20万年の智恵の蓄積

道徳とは、ホモ・サピエンスが登場してから20万年の社会生活の間に蓄積された、「人類共通の社会規範」である。共通の社会規範がないなどとは左翼の詭弁、または無知に過ぎない。その社会規範は以下のものである。

1.殺すな(バリエーションとして、「(心身を)傷つけるな」など)。

2.犯すな(バリエーションとして、「嫌がらせ・強要をするな」。いじめ、ハラスメント、宗教・思想弾圧はここに属する)。

3.盗むな(バリエーションとして、「他人の物を奪うな」。知的財産権はここに属する)

この3つの規範は元をたどれば、「他人の物は他人の物として尊重せよ」という規範に収束する。これが、「人類共通の単一規範」の根本である。あらゆる犯罪や犯罪的行為は、この単一規範を(さまざまなバリエーションを取りながら)侵害することから発生し、軽微であれば「不道徳な行為」となり、侵害の程度が大きくなれば「犯罪」となる。

この人類共通規範は、左翼が重んじる人権や平等という考えは全く含んでいないことに留意されたい。

人権・平等は道徳と対立する概念

例えば今の野党に、「他人に要求する規範と同等の規範を自らに課せ」という道徳を要求したらどうなるだろうか。おそらく野党議員のほとんどはこの規範に耐えられず廃業・商売替えをせざるを得なくなるのではないだろうか。左翼的人間は、高道徳社会では居場所を失う。左翼が道徳を敵視する理由はこれである。道徳は、人間らしい人間に居場所を与え、非人間を真人間に導く原動力である。

人権・平等という概念は、自らの規範を高めることとは全く無関係に、専ら他人や社会に対して改革と思想信条の変更を迫ることができる。人権・平等は人類が長く保持してきた道徳的社会と共存することはできない。左翼が欲する社会は、無道徳で自らに高い規範を課す必要がない社会である。このような共産主義社会は成り立たないことは歴史が証明している。 

ホモ・サピエンスは20万年の間、問題解決に努めてきた

  我々はせいぜい何十年かの実体験しか持たないため、あらゆる事象が新しい問題に見えてしまう。ところが実際は、我々と全く同じ能力を持つホモ・サピエンスが、すでに20万年もの間、あらゆる問題解決の努力をし続けてきた。この事実を考慮して、我々が今取り組んでいる問題も、実はすでに何度も繰り返された問題ではないかという謙虚な視点から見れば、間違いを犯す危険性を大幅に減少させることができるはずだ。