我が心、本日も晴天なり

保守の補習時間

エピソード(1) どんなに自分がひもじくても、女には奢らせない

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治子は万年の愚連隊流のダンディズムをこよなく愛した。それはファッション面だけでなく、万年の場合、精神的なもののほうに、より濃厚に表れていた。たとえば、治子は懐具合が潤沢なとき、「兄さん、お茶御馳走するわ」と、よく万年を誘ったが、むろん万年が女に金を払わせるわけがない。そんな誘いを受け、仮に自分の懐に一銭もないときは、「せっかく治子が御馳走してくれるというのに、オレはいまお腹がガボガボなんだ。悪いなあ」と、いって断るのが常だった。どんなに自分がひもじくても、女に奢らせることを潔しとしなかったのだ。

「愚連隊の元祖 万年東一」山平重樹著

 今の時代なら、男も正直に「今日は持ちあわせがない」と言うところだろうか。あるいはマッチョ気取りの男なら、「オレは女なんかに奢らせない」といばるかもしれない。その点、万年の対応は実に粋である。

逆に金があるときは、

「おい、治子、メシ食いに行こう」

と、有無をいわせず引っ張っていった。

それはいままで治子がつきあった、どのカタギの男たちとも違っていたのは確かだった。かつて小池農夫雄と結婚する前、大恋愛した男など、すべて治子に金を払わせて当たり前のような顔をしていたではないか。

「愚連隊の元祖 万年東一」山平重樹著

 現代は、男女で割り勘にして、「当たり前のような顔をする」時代である。モテなくて困っている人は、「当たり前のように奢り、後は涼しく知らん顔」をしてみよう。

 男女は、互いに持っていないものを埋めるために惹かれ合うものだ。女のように女々しくケチで愚痴っぽい男がモテないのは、1+1が2であるように当然のことである。