我が心、本日も晴天なり

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夫婦別姓 「選べることでは誰も困らない」は完全な間違い

「選べることでは誰も困らない」。

夫婦別姓の訴訟で本当に訴えたいこととは

「選択肢を増やすことは、誰の生活も脅かしません」

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 こちらの記事には、選択的夫婦別姓を訴える訴訟と、「夫婦別姓反対論への反論」が書かれています。具体的に見てみましょう。

 

夫婦は婚姻時に、どちらかの姓を選ばなければならない。実際は夫の姓を選ぶ夫婦が約96%だ。

 

毎度おなじみの「結婚時に改姓するのは96%が女性」が出てきますが、これについてはファミリーネームを慣習として持つ国は多数が夫姓に合わせることで共通しており、正確な統計はないのですが、中でもアメリカは90%以上(計算によっては98%以上)の女性が、結婚時に改姓しているとの論評が多いです。

 

96%以上の女性が結婚時に改姓していることは、日本の特殊性を示していないし、日本が男尊女卑の国であるということも示していません。

 

ちなみに海外ではミドルネームを採用している国が多いので、旧姓を保持するといっても夫婦や子供だとわかるように共通部分を持つことがほとんどです。日本が想定している選択的夫婦別姓は、「旧姓保持者は夫婦でもまったく共通部分がない」「子供ともまったく共通点を持たないケースが生じる」こととは、分けて考えるべきです。

 

海外との比較では、「婚姻しても夫婦がまったく共通点のない名前を選択した人がどれくらいの割合なのか?」を考慮すべきでしょう。

 

裁判の戦略については、

【1】日本人同士の結婚

【2】日本人同士の離婚

【3】日本人と外国人の結婚

【4】日本人と外国人の離婚

の4パターンのうち、【2】【3】【4】は戸籍上の姓を選択できるが、【1】のみ旧姓を戸籍上の姓として使うことが認められていない。

 

という主張ですが、意味不明としか言いようがありません。

 

【1】日本人同士の結婚

【2】日本人同士の離婚

日本人同士は当然国籍が同じなので夫婦ともに同じ法律が適用されます。離婚した場合は、旧姓に戻るか(復氏)、結婚時の(つまり夫の)姓を名乗り続けるか(婚氏続称)を選べます。

果たしてこの選択を「旧姓も選べる」と表現するのは正確でしょうか? 単に選択肢が増えたのではなく、離婚したからもう夫の姓を名乗りたくない女性もいれば、子どもがいるので子供と同じ姓(婚氏)を名乗り続けたい女性など、離婚に伴って生じたさまざまな事情に配慮したものであり、意味もなく選択肢を増やした法律でないことは明白でしょう。

この選択を、結婚時の姓と同じ土俵で比較することが間違いです。前提が間違っているわけです。

 

 次に

【3】日本人と外国人の結婚

【4】日本人と外国人の離婚

 ですが、当サイトでも 

「国際結婚なら夫婦別姓が選べる」は正しくない - 我が心、本日も晴天なり

で論じたように、2つの異なる法律にまたがった国際結婚は、そもそも同姓にはできない、が正解です。だから国際結婚は原則改姓しない夫婦別姓になりますが、多くの人は夫婦や親子だと対外的に認めてもらうためもあり、「姓にできるだけ共通点を持たせている」に過ぎないのです。

国際結婚の離婚時も日本人同士と同様に、「旧姓に戻るか」「婚氏を名乗り続けるか」を選べるのは同様です。

このように、結婚、離婚、国際結婚の意味や実情を見た上で、「日本人同士の結婚のみ、旧姓を戸籍に登録できないのは不平等だ」と言えるでしょうか?

言えるわけがないのです。日本語ではこれを屁理屈や難癖といいます。

夫婦別姓訴訟の最高裁判決を読めば、最高裁は現行制度の合理性を正しく理解しており、日本社会の実態が大きく変わらない限りこのような屁理屈を認めることは金輪際ないでしょう。それでもこのような訴訟を続けるということは、国民に夫婦別姓を刷り込むための戦略なのでしょう。日本国民はこれを理解し、夫婦別姓を正しく拒否し続けていくことが大切です。

 

次は、サイボウズ青野氏が行った「別姓反対への反論」部分です。

「家族の一体感が失われる」

同姓にすることで一体感を高めたい家族はそうすればいいし、別姓で問題ない家族は別姓でいい。一体感を高める手段はいくらでもあります。家族でペアルックなんか着たら、相当一体感が出ますよね。

 

反論と言えるかどうかもあやしい稚拙な主張ですが、最高裁判決は同一の姓であることの意義を認めています。

氏に,名と同様に個人の呼称としての意義があるものの,名とは切り離された存在として,夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。

夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。特に,婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ,嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また,家族を構成する個人が,同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに,夫婦同氏制の下においては,子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。

「一体感」とは表現していませんが、同一の姓によって一つの集団の一員であることを実感するというのは、日本のみならず世界共通の認識です。会社名、学校名、団体名、チーム名などなど、みな同一の名前の下で集団の一員であることを示しています。これをわざわざ「同一の姓でなくても一体感はつくれる」と主張することに、何の意味があるのでしょうか。

 

「夫婦同姓は日本の伝統。伝統を守っていかなければならない」

じゃあ、お前、明日からチョンマゲな。人間は、すべての伝統を残すわけではありません。もし、服装・食物・住居などを江戸時代に戻されたら困りますよね。私たちは、自分が好む伝統だけを引き継ぎます。 

 これはもう、意味をなさないどころか、伝統を守りたい人への単なる揶揄中傷です。あまりにも馬鹿げているので、こんなことを言っていると逆に夫婦別姓賛成者からも疎まれるのではないかと心配してしまいます。

 

「やり方が横柄だ」

すみません。選択的夫婦別姓の問題は、何十年も放置されてきたと認識しています。日本は民主主義で法治国家。議論や司法の手段を使い、徹底的に解決を目指す所存です。

 これまた、「何のことでしょう?」という話。「日本は民主主義で法治国家だから、選択的夫婦別姓が今まで採用されなかった」ことをまず認識する必要があります。

 

「青野は左翼だ」

小学校時代は外野手ではなくショートでした。右投げ左打ちです。

つまり、反論しにくい・できない意見はスルーして、マイナーな反対意見だけを相手にして論破するふりをしているわけですね。

私が思うに、もうこの人(サイボウズ青野氏)は、選択的夫婦別姓問題から取り残され、蚊帳の外に置かれつつあるのでは?と思います。メディアが何度も取り上げるので知名度はありますが、「もう推しようがない」という空気を若干感じます。

その理由は、あまりの内容のなさとズレた主張のために、反対派から論破され夫婦別姓のデメリットを暴かれる隙を与えていること、そして揶揄中傷の癖があるため賛同者を広げられないことです。

最後に、ひとつだけ青野氏を評価できるところがありました。

UPDATE

 

当初、「青野さんの場合は、保有している自社株の名義変更の手数料が数百万円かかった」との記述がありましたが、2019年2月9日、青野さんが「改姓が直接的な原因ではなかった」と発言を修正したため、該当部分を削除しました。

 

上記のように、「青野氏は改姓したために数百万かかった」と主張して、それが理由で話題性も高まっていました。

その後、ツイッター上で株の名義変更に詳しい人がいて、青野氏の主張に疑問を感じて追及したために、青野氏の主張が間違っていたことが判明した、という経緯だったと記憶しています。

青野氏が間違いを認めて、「数百万の費用がかかった」という主張を引っ込めた(他人に指摘されての話ではありますが)。

この部分だけは評価できると思います。

 

反論と言っても、夫婦別姓反対論のマイナーなものだけ、しかも微妙に曲解して取り上げて、反論した気分になっている。

「選べることでは誰も困らない」という論拠はまったく示されていない。

 

 ということになります。