我が心、本日も晴天なり

保守の補習時間

広島、長崎への原爆投下が日本を救った

「広島、長崎への原爆投下が日本を救った」と言うと、「日本の戦争責任を糾弾する左翼の主張か?」思われるかもしれませんが、決めつける前に少しお時間をいただきたい。

大東亜戦争は悪の戦争」として、日本を糾弾し続ける左翼はもちろん間違っていますが、「大東亜戦争はアジアを解放した聖戦」という考えも左翼同様に間違っていて、別の意味で危険性が高いのです。

大東亜戦争は、ソ連と共謀した日本の共産主義者の策動により、日本の軍事力を消耗させ疲弊させて、日本を焦土化ソ連に侵攻してもらい、共産国家日本を設立するという、祖国反逆戦争だった」これが正しいと思います。

この観点から見ると、太平洋戦争における「わざと負けるがごとく」の数々の失策が、文字通り「ソ連の侵攻を助けるための作戦だった」ということが理解できるかと思います。

 

1935(昭和10)年

 7月25日~ ※第七回コミンテルン大会にて、西洋においてはドイツ、東洋においては日本を目標とすることが宣言され、同時に世界的に人民戦線を結成するという決議を行い、特に中国においては抗日戦線が重要であると主張した。

 

1937(昭和12)年

 7月7日 盧溝橋事件が起こり日中戦争が始まる。

ソ連主導の「日本共産化計画」の一端。日中ソを共産国家の核とし、東南アジアを含む「共産国家共栄圏(これを大東亜共栄圏と詐称した)」にする計画。

 

1941(昭和16)年

 11月30日 「私は立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ。もし(対英米開戦を)認めなければ、東条英機は辞職し、大きなクーデターが起こり、かえって無茶苦茶な戦争論が起こるであろう…」昭和天皇独白録

 12月1日 御前会議において開戦を最終決定。

 12月8日 真珠湾攻撃と宣戦布告。

 

1944(昭和19)年

 6月24日 大本営は戦争指導日誌に以下の記載をした。

 「もはや希望ある戦争政策は遂行し得ない。残るは一億玉砕による敵の戦意放棄を待つのみ」

 9月 岡田啓介は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束を固くする以外方法がない」と主張した。

 10月10日~25日 レイテ沖海戦

関東軍を対米戦に振り分け、ソ連による侵略を容易にした。

 

1945(昭和20)年

 2月14日 近衛上奏文を捧呈

ソ連の赤化政策、共産革命について吐露するも、「自分(近衛文麿)はそれと別の立場である」との自己弁護、責任逃れを行った。

 

 4月、戦艦大和の沖縄出撃は、軍内の最後通告に「一億玉砕ニサキガケテ立派ニ死ンデモライタシ」(一億玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい)との表現が使用され、「海上特攻」または「水上特攻」とも呼ばれた。

 

 4月8日 大本営は、連合軍上陸の際には各方面軍が独立して最期まで戦闘にあたることと、『決号作戦準備要綱』を示達し、一連の防衛計画を正式な作戦名「決号作戦」とした。以降の大本営の構想は、部隊の後退、持久を認めない旨を各部隊に通達し、一億玉砕の思想にとらわれていくことになる。

 

 8月6日 広島市原子爆弾投下される。

 8月9日 長崎市原子爆弾投下される。

      ソ連軍が対日宣戦布告。満州樺太朝鮮半島に侵攻。

※日本軍が停戦状態にあったとしても、自衛戦としてこれを迎え撃つべき状況。にも拘わらず停戦命令を出したり武装解除をはじめてたりしている。ソ連が侵攻しやすい状況がつくられていた。

 

 8月14日 ポツダム宣言受諾。

※敗戦と玉音放送の実施を知った一部の陸軍青年将校グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろんで8月15日未明に宮内省などを襲撃する事件を起こした。

 

 8月15日 玉音放送が流される。

 8月18~19日 極東ソ連軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥が、8月25日までの樺太と千島の占領、9月1日までの北海道北部の占領を下令。

 8月19日 ソ連関東軍の間で停戦協定が結ばれる。日本の大本営は第5方面軍に対して、停戦のための武器引き渡しを許可した。

ソ連軍の殺戮と虐殺のさなかに、関東軍は自国民防衛を果たさず同胞を見捨てたことになる。拉致された日本男性のうち、共産主義に洗脳された者は「赤軍・日本人部隊(約4万人とも言われた)」として、ソ連軍とともに北海道侵攻を狙っていた。

 

ソ連側は、日本人と財産の本土引き揚げ阻止を図り、8月22日に婦女子老人を優先的に本土に返す為出港した緊急疎開船3隻を撃沈破(1700名以上死亡)したうえ、23日には島外移動禁止を通達した。24日に樺太庁所在地の豊原氏はソ連軍占領下となり、25日の大泊上陸をもって南樺太占領は終わった。

 

 12月6日 近衛文麿GHQから逮捕命令。

 12月16日 近衛文麿、出頭命令の期限の日。青酸カリを使って服毒自殺。

※自殺強要説、他殺説もある。

 

1949(昭和24)年

 9月30日 極東軍事裁判終了

 10月1日 国民党政府は内戦に敗れ、台湾島に逃れた。

 

1950(昭和25)年

 6月25日 金日成率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発。

 

まとめ

❶原爆が投下されても、昭和天皇終戦をご聖断されても、北海道がソ連に占領される寸前でも、なお本土決戦を主張する勢力があった。天皇を亡きものにしてまで戦争を追行しようとする共産主義者によって白アリのごとく食いつくされた軍部が、とことん日本を弱体化させソ連が侵攻しやすくしていたことは明白。

 

共産主義者は、広島と長崎の原爆については狂喜乱舞して騒ぐけれども、ソ連の蛮行については一切口をつぐんでいる。反米とはすなわち、「ソ連の罪状隠し、共産主義者の罪状隠し」に他ならない。

 

共産主義者の祖国破壊工作は、原爆とGHQ占領によって一時休止した。しかし占領が終わるとまたも息を吹き返し、それは現在の反米、反核、核恐怖症、沖縄の米軍基地排除、北海道の赤化、ロシアとの平和条約(北方領土の放棄)などで継続中である。

 

❹現在のような共産主義者が跋扈する原因は、GHQWGIPなどではまったくなく、むしろGHQがまともにレッドパージを行わなかった結果であり、もしGHQに文句を言うなら「なぜもっと共産主義者を罰しなかったのか?」と言うべき。

 

❺かくも悪質な共産主義者が日本を亡国の淵まで追い込んだのだから、その全貌を明かしてこれを(東京裁判とは関係なしに)裁くべきだった。しかし裁くどころか、名誉回復させて「日本に戦犯はいない!」を合唱して靖国神社への合祀を問題なしとするのを見て、共産主義者は「してやったり!」と思っているだろう。大東亜戦争における共産主義者の策動はこれで闇に葬られ、完全に蓋がされたからである。

 

❻軍に命さえ狙われ、さんざん苦しめられた昭和天皇は、A級戦犯合祀を快く思わなかった。A級戦犯合祀は靖国神社の独断で行うべきではなかった。それでおいて靖国神社は、「天皇が参拝してくれない!このままでは靖国神社は弱体化…」と不満をぶつけている。靖国神社の姿勢が間違っている。

 

A級戦犯の合祀は、すんでしまったのだからもうどうしようもない。靖国神社天皇陛下がどうされようとも騒がず真摯に慰霊に専念し、本来の姿に立ち返るべきだ。政教分離の声を跳ね返すなど、まずすべきことをせよ! そうすればいつか天皇陛下がまたご参拝される日も来るだろう。

 

❽「共産主義は百害あって一利なし」

 保守を自認するなら、これを理解、公言して日本における共産主義の跋扈に歯止めをかけるべきだ。さらに、共産主義マルクス主義のラベルが貼っていなくても(見た目に惑わされることなく)、共産主義マルクス主義に通底するものを峻別し、批判するべき。それには、保守思想と共産思想の根源を理解する必要があり、長い年月がかかる。

 

❾人間を不幸にする共産主義の全否定とロシア侵攻の阻止!

 これこそ、日本の未来のために命を失った多くの犠牲者に報いる道だと思います。

 

 

参考文献 参考URL

昭和天皇靖国神社』 中川八洋

盧溝橋事件 - Wikipedia

日中戦争 - Wikipedia

コミンテルン - Wikipedia

レイテ沖海戦 - Wikipedia

極東国際軍事裁判 - Wikipedia

日本の降伏 - Wikipedia

近衛文麿 - Wikipedia

近衛上奏文 - Wikipedia

玉砕 - Wikipedia

本土決戦 - Wikipedia

樺太の戦い (1945年) - Wikipedia

中国国民党 - Wikipedia

朝鮮戦争 - Wikipedia